初めての就職は日本🌸 台湾基隆✈️日本おおいた
7年前〈2014年6〉、台湾にある大学応用日本語学科から卒業し、
大学での連携で大分にある大手の温泉旅館に10月に就職決めました。
高校3年間+大学4年間ずっと日本語学科の元で日本語を勉強してきました。
計7年経歴の私は、台湾で就職すると、
勉強を頑張ってきた努力が無駄になるではないかとのことで、
日本に向かうことを決心しました。
言葉の壁を越えるには、かなり難しいです。
今まで標準語を勉強してきたことで、滅多に標準語を使わない地方では、方言だらけです。言葉理解出来てない外国人達には、日本人と仲良くすることは難しいです。
国籍によって、差別うける場合もあります。
幸いなことは、就職先は優しい方がたくさんいます。
でも優しいだけでは、なんでも間違い・ミスしても許されるではありません。
社会人としての責任感は全て初めての職場で学ぶことになりました。
【初職場から退社する前に撮った写真】
当時、契約社員の私は就労ビサの更新はできないことで、
わずか一年間の仕事が無くなりました。
台湾に一時期戻って、無職している間に一生懸命日本の仕事を探し始め、
4ケ月をかかって、同じ大分県で同市にある小さな民間旅館に就職を決めました。
〈2016年2月〉
日本での就職は順調に見えるが、実はそうでもないです。
当たり外れももちろんあります。
旅館業は体力・時間・ストレスをどんどん消耗している仕事です。
自分の体力は大学時代までは自信満々に言えるくらいです。
(風邪引かない・徹夜も問題なし)
ホテル・旅館業は若者少ない・しんどいな仕事で、
この旅館内は私だけ若者です。
女将は主に主導するけど、社員として働くのは料理長と私だけ。
残りはパートのおばさん達です。
パートは頻繁に出勤できないことで、(会社の給料負担ならないように)
主に動くのは女将さんか自分か朝だけ出勤の事務さんです。
朝食の器洗い(洗いさんいる時不要)→部屋片付け→夜の宿泊準備→
昼宴会ある時の準備+配膳→夜の宿泊準備→
チェックイン→夜の宿泊配膳+夜宴会ある時の配膳→食器洗い(洗いさんいる時不要)
毎日繰り返しの行動。
不定期の食事、月に5回しかない休日、長時間仕事、サービス残業など……
希望休申請も困難、いきなり宿泊か宴会か入った理由で、
休暇なくなることも当たり前のように、
様々な原因で精神的にヤバくなり、体調も崩してしまいそう、
このままだと、自分らしさがなくなる。
と、
その時、決心を出し、1年2ケ月間我慢して私は民間旅館を退職しました。
その時は2017年の春頃です。
【2017年長崎に行った写真です】
初めて、自分の手で退職届を出しました。
その時は、ヒヤヒヤしました。
社長の顔が忘れないです。
絶対いい仕事を見つからないから。
他の場所給料少ないよ。
うちの方が絶対いいよ。
・・・など言われましたが、
その一週間後、大手のケータイショップに就職決定!!
〈2017年4月転職〉今も在籍中!
AYAME★
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